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「新人社員は雑用をするべきか」を新人社員が論じると恥ずかしい理由

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先日、ネットで「下っ端の雑用に意味はあるか」といった話題の記事に出会った。

実は、この手の話はどうも苦手だ。

なぜなら持論を語る上で、どうしても語り手の立場や年齢などが影響し、フラットに議論できない気がするからだ。つまり、もうすっかり中年のオジサンになってしまった私が、どんなにフラットに語ろうと努力しても、なんだか手ごたえがない。(だからといって、無理に手ごたえを感じるような論じ方をすれば、それはそれで中年っぽい悪しき行動のようにも思う)

若手社員とベテラン社員との対立、もしくは、できる社員とできない社員の対立なんて構図が先に出てしまい、双方、それぞれが持論を熱烈に展開するもんだから、そうこうしているうちになんだか面倒になり、もうそれぞれ好きにすればいいんじゃないか、なんて具合の気持ちになるわけです。

「雑用に意味があるか?そんなことを言いだす新人はすぐにクビにしろ!」とか
「雑用しか任せない会社なんて価値がない」とか。

実はあまり興味が湧かない。とはいえ、この議題をどんなに避けていても、毎年のようにこの雑用は是か非かの話を持ち出してくる新人諸君がいるのも事実だ。

さて、私の場合は年齢的にも中堅どころになってきたので、この手の話をすると、どうも説教臭い話になってしまう気がしているが、ただ、今日は少し勇気を出して「雑用論」について書き進めたい。

うまく書ければ、来年以降は「この記事を読んでくれ」のひと言で済むかもしれない。

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そもそも「雑用」は必要のない仕事なのか。

デスクの掃除や来客へのお茶出し、コピー取りや重要書類のシュレッダーなど、雑用と呼ばれる仕事はたくさんある。それらの一つひとつの仕事は決して不要な業務ではない。

これらを「必要のない仕事だ」と、いう人はおそらく誰もいないだろう。

組織とはいつも効率を追求する場所である。もし必要のない業務であるならば、自然と淘汰されていく。むしろ、現実的な現場では必要な業務である(そう思っている)にも関わらず、コストカットの名目でなくなっていく。そっちの話の方が多いと思う。

つまり、雑用は必要である。これが一つの前提である。

そして、この議論の的でいえば、雑用は誰もが必要である業務だとは認めるが「なぜそれを新人がやらねばならないのか」である。

これは抜粋(引用)になるが2016年8月2日付けのメディア「R25」で「新人時代の雑用」についての意識調査の結果が紹介されていた。

要約してしまうが、調査の結果として20代の6割超が新人時代の雑用に「意味なし」と答えている。

会社にとって必要な業務でありながらも、新人にとって雑用に意味がない(と思っている)

これは良く考えるとかなり面白い。デスクの掃除や来客へのお茶出し、コピー取りや重要書類のシュレッダーは、別の社員が行えばいいのであって、自分たちの仕事ではないということなのだ。

さらに突っ込んでいえば「雑用」という考えよりも「私がやりたい仕事」と「私はやりたくない仕事」なんて話まで進んでしまいそうだ。

だが、今回はごく一般的に語られている雑務についてにテーマを絞りたい。なぜなら単純に私の立場でいうならば「私がやりたい仕事」と「私はやりたくない仕事」なんて議論であれば、どうぞ転職してください。のひと言で話が終わってしまう。(採用に携わる人間としてはどうか「やりたい仕事」をやって欲しいと思うわけです)

「雑用」にどう意味を持たせているか。

ひとつの前提として「雑用」は必要な業務であることがわかった。そうなれば、たとえ雑務であっても、会社に必要な業務であるならば、それは大切な仕事であり、必ず完遂させなければならないミッションだということだ。それに主体的になれない。もっといえば、拒否している新人社員がいるとするならば、就業に意欲的な社員といえるだろうか。たぶんこのあたりが、問題の中心なのだと思う。

新人社員とって「意味のある仕事」と「意味のない仕事」の違いとはなんであろう。

私は採用を専門とする立場として、この議題については、なんだかちゃんと語っておくべきなのかなと書きながら思い始めた。

はたしてこの議題は「採用のミスマッチ」の論点があるのだろうか。

この問いについてひとつ考えられるのは「自己成長(キャリアアップ)に必要があるのかないのか」という発想だ。

雑用否定派の新人社員からすれば「雑用は会社にとって必要であるが、自分の役割ではない」といったところだ。つまり、会社への貢献や仕事の完遂よりも、自己成長意欲の方が勝っているのかもしれない。

転職市場の広がりで、就社から就職へと変わってきたとはいえ、今の会社で定年まで勤める気持ちを感じさせない思考が見え隠れするのは面白い。推測ではあるけれど、上司や社長の評価(査定)よりも、もっとグローバルな外の舞台に気持ちがあるのだろうかと思えてくる。

新人雑用肯定派にとっては「いかに新人時代の雑用が、自己成長の機会を創出するか」と論じれば、丸く収まるようにも思う。

ただ、これで終わりで良いだろうか。新人社員という立場が会社にとって、どんな位置にいる人材なのか。これは明確にしておく必要があるようにも思う。

組織の中で「雑用」をする人材とはどんな戦力か。

視点を変えた論理的な例をひとつ。

例えば年収1000万円のプレイヤーが、毎日コピー取りやお茶入れをすることを会社が望むだろうか。おそらく会社はやって欲しくない。それはなぜか。単純な話である。

年間休日120日だとして、ざっくり年間250日出勤するわけでだから、年収1000万円を単純に日当で割れば日給4万円だ。コピー取りやデスクの掃除だけの業務で、会社としては日給4万円払うことは現実的か否か。そう、それが全ての答えだ。

年収1000万円を支払う人材には、それ相応の任せるべき仕事がある。つまり能力の問題だ。新人時代とは、会社にとってはまったく戦力ではない。正直、雑用くらいしか任せる仕事がないのだ。

もちろん、近い将来の戦力となるべくして、多くの経験や技術を吸収していく期間が新人時代だ。だから一日も早く技術を身につけて戦力化すれば、おそらくは雑用から解放されるであろう。

私は雑用をやりに、この会社に来たわけじゃない!!

もし、私の前に、そんなことをいう新人がいたら、まったくその通りであると僕はいってあげたい。ただ同時に、こう話すだろう。

成長途中の君に任せられる仕事は「雑用」しかないんだ。

リアリティを増すために、給与明細に目を落としながら言ってしまうかもしれない。

もちろん、これはひとつの組織の形だ。世の中には「完全実力主義」をうたう営業会社も多い。そういった会社であれば、社歴も経験も年齢も関係なく、能力だけですべてが決定するので、新人=雑務の図式はないかもしれない。ただ、その手の会社は実力主義ゆえに、すべての個人が雑務をこなす理論である場合が多い。

もう、感づいている人も多いだろうが、私は新人に雑用をさせることに、あまり抵抗がない。

組織として、全体を見る眼が身についてくれば「雑用」などどいう仕事はないことに気づくだろう。それこそ、自分には関係のない仕事であるなんてことを言っているうちは、まだまだ仕事の全体像・組織の全体像が見えていない証拠である。

つまり、新人の思考なのだ。

「雑用」に意味を見出すのは自由である。

様々なワークスタイルや働き方の価値観が生まれ、時代はますます多様化している。

書店に出向けば、働くこと、就業することに関しての考察もたくさん出ている。高度成長期のように、皆が同じマイホームの夢を追うような時代でもない。組織のカタチも様々。個人の働き方も様々。であれば「雑用」への意味も様々である。

雑用をこなすことで、得られるものがあると思えば、まっすぐに進めばいいし、まったく意味がないのであれば、組織を去るなりすればいい。個人的にはそう思う。価値観の合わない人間とは関わらない方が賢明である。

と、まぁそんな結論になってしまうそうだが、正直、組織で働くこと、チームで働くことは「他者理解」の構築である。他者理解に乏しい社員は、プロジェクトの円滑化の妨げになる。

右も左もわからない新人だからこそ、そこからじっくり育成をしていく話になるかもしれないが、ポテンシャル採用でしかない人材のポテンシャルの中に「他者理解」の気持ちのないのではあれば、なんのポテンシャルの採用であったか……、と思ってしまう。

それくらいチームや他者のことを考えて、行動していくことは重要だと思っている。

最近の新人社員はよく勉強している。働く前の学生時代から会社員の苦労を知っているような顔をする。そんな彼らに、本には書いていない仕事の魅力や仕事観、雑用の意味を語れる先輩になることも、役割としては大切かもしれない。

この件で私が言いたいのは、本当に目の前のある「雑用」に価値があるのかないのか。少し違って視点でも考えてみることは、損じゃないかもよってことだけです。

ここまでお付き合い頂き、ありがとうございます。

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